プログラミングとコンピュータの歴史「771年分」まとめてみた。

プログラミングとコンピュータの歴史

プログラミングの歴史を知る

本記事では「プログラミングとコンピュータの歴史」を一気にご紹介していきますが、まず最初にみなさんに質問させてください。

みなさんは世界最古と言われるプログラミングの起源をご存知でしょうか?

なんとなくモヤっと、

「アップルのコンピュータが発売される10年くらい前とか?」

「今じゃスマホで出来るようなことを、めっちゃデカいスーパーコンピューターみたいなのでやってたとき?」

など、それぞれに「昔のコンピュータに付随するイメージ」があるかもしれません。それらのイメージも確かに古い部類には入りますが、冒頭のご質問「世界最古のプログラミング」となると、でっかいコンピュータでさえもまだ新しい部類に入ってきます。

世界最古プログラミングについて語るには、ちょっとだけ前段として「そもそもそプログラミングってナニ?」のお話からしたいと思います。

プログラマー

プログラミングってそもそもナニ?

まずプログラミングとは何かというのを短く言うとすれば「人間が意図したかたちで自動化させる作業」と言えるでしょう。もっと短くして「自動化」させる作業と定義してみます。

昨今では要件課題に対し、必要なプログラムを設計しコンピューターに指示をするのがプログラミング。「Aという動きがあればBをする」「Cのようなことが起きた場合はDを実行する」というように、すべての想定されるケースにおいて対応アクションをプログラムする。これにより「自動化」が可能となり、同時に即時性と効率化も実現され、社会インフラから手元のスマホまでプログラミングされた機器や端末はスムーズに可動する。そして人間の生活を便利で無駄のないものに転換してくれる。

これまで人がやっていたこと、多くの時間がかかっていたことを、プログラミングされたコンピューターが代わりにやってくれることで世の中の動きが大きく変わりました。まさに「人間が意図したかたちでの自動化」が実現したことによる恩恵です。

そしてこの「自動化」という発想が、プログラミングの起源と見ることができます。

自動化のイメージ

世界最古の自動化とは?

誰もが認める世界最古の「自動化」については、wikipediaでさえも追跡不可能かもしれません。本記事のお題目にしておきながらそんな弱気なことを書いてしまいますが、前項の「人間が意図したかたちでの自動化」は、ともすれば原始時代からあるとさえ言えるからです。

なぜでしょう。

例えば、まだ人間が言葉も持たない原始のオラウータン的な生物であったときまでタイムスリップして考えてみます。そこで「日当たりの良い場所」と「日当たりの悪い場所」のどちらに住むか検討したとします。まだ言葉もない時代ですから言語化して悩むことはないにしろ、直感的に、

「日当たりの良い場所に住めば毎日移動しないで住むし、雨で体が濡れた場合も早く乾くし、干物も干せるし、場所自体いつも温かいし、何もしないでも恩恵が多いな」

と判断し、その場所を選ぶと考えられます。これは、その判断によって「環境を自動化した」と言うことができるでしょう。何もしなくても、周囲の環境が勝手に便利に動いてくれる。このケースで言えば、自分が日当たりの良い場所に身を置くことで「太陽」という利益を自動化したことになります。言い換えれば「環境をプログラミング」した、と言えるでしょう。

オラウータン

テクノロジーのルーツを探る

オラウータンの例は「自動化という発想がプログラミングの起源とも言える」ことをひとつの見方として出させていただきました。このように考えると、日本でもアフリカでも、中国でもイギリスでもアメリカでも、世界のどこかで「自動化の発想の起源」はあったと思わます。

しかし自動化の概念を論点にさかのぼるとこのように「なんでもプログラミングと言えてしまう」ことにもなるので、次章では「人間が何らかをモノに指示し、そのモノが期待通りに動き続ける」ことをプログラミングの起源として定義したいと思います。

その起源をwikipediaの『プログラミングの歴史』を参考にしつつ、プログラミングとコンピュータの歴史を、同時に時系列で記載していきます。普段私達がつかっているパソコン、そしてプログラミングの起源とはいったいどのようなものなのでしょうか。

プログラミングの起源を時系列で

1206年

トルコのアラブ人学者「アル=ジャザリ(Badī’ al-Zamān Abū al-‘Izz Ibn Ismā’īl ibn al-Razzāz al-Jazarī)」によって作られた二足歩行ロボットが原点と言われています。

著書『巧妙な機械装置に関する知識の書』には100種類以上の機械装置が描かれ、ロボティクスの父、また時にDIY(Do It Yourself。自分自身でやることの意)の元祖などと紹介されることもあるのがこのアル=ジャザリ氏です。

アル=ジャザリ
写真左「象時計」写真右「水力駆動の揚水機」(wikipediaより)

 

1801年

なんと前項から600年も間が空いていますが、アル=ジャザリがロボティクスの父ならば、一般的なプログラマブルの起源と言われており著名なのがフランスの発明家ジョゼフ・マリー・ジャカール(Joseph Marie Jacquard)。

彼が考案した「ジャカード織機」は、布を織るパターンの指示を何枚もの厚紙に「穴」を開けることで可能にしたもので、パンチカードを変えることで異なる柄の布を織ることができます。

ジャカード織機と発明家ジョゼフ・マリー・ジャカール
ジャカード織機と発明家ジョゼフ・マリー・ジャカール(wikipediaより)

 

1830年ごろ

1830年代に入ると、イギリスの数学者であり分析哲学者のチャールズ・バベッジ(Charles Babbage)がパンチカードをいた解析機関を開発。

この機械はロンドンの国立科学産業博物館に属する科学博物館『サイエンス・ミュージアム』に展示されています。

解析機関とチャールズ・バベッジ
解析機関とチャールズ・バベッジ(wikipediaより)

 

1896年

自動化=プログラミングの歴史を人類が積み重ねるなか、ハーマン・ホレリス(Herman Hollerith)により、後の「IBM」となる「タビュレイティング・マシン・カンパニー(Tabulating Machine Company」が設立されます。

彼は、これまで出てきたパンチカードの歴史を継承しつつ、そこから大きな飛躍を遂げたホレリス式パンチカードやタビュレーティングマシンを開発。これらの発明は今日の情報処理産業の礎となっており、コンピュータ及びプログラミングの歴史上において重要な起点となっています。

ホレリス式タビュレーティングマシンとハーマン・ホレリス
ホレリス式タビュレーティングマシンとハーマン・ホレリス(wikipediaより)

 

1906年

タビュレーティングマシンが開発されたことで、現代的なプログラミングのアプローチに一歩近づいた人類は、このマシンにプラグボードを追加し仕事に応用していきます。

1940年代

この頃になると、プラグボードによるプログラマブルな機械がIBMを中心に各種登場し始めます。

プラグボードは正式名称は「コントロール・パネル」であり、見た目は現代的な基盤の原型とも言えます。この頃のコンピュータからプラグボードでプログラミングされたマシンが出始めることになります。

1949年のレミントン・ランド社 UNIVAC120(左)IBM 402のプラグボード(右下)
1949年のレミントン・ランド社 UNIVAC120(左)IBM 402のプラグボード(右下)(wikipediaより)

 

1945年代ころ

「ノイマン型」と言われるコンピュータの基本的な構成法のひとつが確立され、この頃にはパソコンの頭脳となり演算や情報転送をつかさどる中枢であるCPUやメモリの原型もあらわれ、記憶装置なるものも登場。

なお「ノイマン型」とはIQ300とも言われたまにネット上でも話題になるジョン・フォン・ノイマンが著者のひとりである報告「First Draft of a Report on the EDVAC(1945)」報告書に由来します。

しかし、ノイマン型コンピュータの主要開発者はENIACというアメリカの初期の電子計算機の開発者である「物理学博士のジョン・モークリー(John William Mauchly)」と「主要開発者ジョン・エッカート(John Presper Eckert)」によるものと言われており、ジョン・フォン・ノイマンは助手役だったという説もあります。このあたりは諸説あるため、wikipediaにおいても明言されてはいません。

ジョン・モークリー/ジョン・エッカート/ジョン・フォン・ノイマン
左からジョン・モークリー/ジョン・エッカート/ジョン・フォン・ノイマン

 

1954年

1950年代中盤になると、最初のプログラミング言語のひとつとなるFortran(フォートラン)が、IBMのジョン・バッカス(John Warner Backus)によって考案されます。

このFortranにより、演算を直接数式で記述できるようになるなどプログラミングは新たなステージへと入り、同時に「ソース」や「コンパイラ」と言われるワードも定着化していきます。このような背景からFortranは「世界最初の高級言語」とも言われています。

ジョン・バッカスとFortranのロゴ
ジョン・バッカスとFortranのロゴ(wikipediaより)

 

1954年

事務処理用に開発されたプログラミング言語「COBOL」が登場します。

COBOLは「Common Business Oriented Language」の略称。前述Fortranに続く黎明期のプログラミング言語ながら、誕生からすでに70年以上経過しており時に「古文」など言われるにも関わらず、一部で支持率のある現役のプログラミング言語としても有名。

COBOL記述の一例
COBOL記述の一例(wikipediaより)

 

1960年代後半

この頃から「キーボード」からコンピュータにプログラムを入力できるようなってきました。現代のスタイルにぐっと近づいてきます。現代も多用される「テキストエディタ」が定着化したのもこの頃です。

1969年2月

この頃、日本で「パーソナルコンピュータ」という言葉が初めて登場します。

それは日立製作所のミニコンピュータ「HITAC 10」。日立製作所のカタログに「パーソナルコンピュータ」というワードと共に紹介されました。価格は495万円。タイプライタ付きのベーシックな基本構成でこの価格でした。

日立製作所のHITAC 10
日立製作所のHITAC 10(コンピュータ博物館より)

 

1970年初期

1970年代に入ると、IBMから「IBM 5100」や「HP-9800」シリーズが登場するもまだ高価でした。それでも一部の企業で導入され始めます。

BM 5100(左)とIBM UNIVAC120(右)
IBM 5100(左)とIBM UNIVAC120(右)(wikipediaより)

 

1974年12月

アメリカのMicro Instrumentation and Telemetry Systems社(MITS)が開発した「Altair 8800」がリリース。世界での最初期の個人向けコンピュータです。

すでにマイクロプロセッサを利用したコンピュータキットとして「The Scelbi-8H」や「Jonathan Titus’ Mark 8 kit computer」などいくつか販売されていましたが、このAltair8800は世界で初めてのパーソナルコンピュータと紹介される代表的なパソコンです。

Altair 8800
Altair 8800(wikipediaより)

 

1976年

ここでやっと「Apple」が登場します。1976年1月、スティーブ・ウォズニアックが設計したワンボードマイコン「Apple I」を666ドル66セントで販売。

開発のためスティーブ・ジョブズは愛車のフォルクスワーゲンを売り、ウォズニアックはヒューレット・パッカード製の電卓を500ドルで売り資金をつくったと言います。この「Apple I」は2018年現在、世界で現存するのは60台ほどと言われるレアアイテムでもあります。

Apple I
Apple I(wikipediaより)

 

1977年

「Apple I」のある種、試験的な販売を経て、満を持してリリースした「Apple II」はパーソナルコンピュータの一般普及のきっかけをつくるヒットとなります。

ブランディングとしても「ホームコンピューター」という名称で売り出し差別化を図りました。そしてこの「Apple II」は仕様や設計を公開する、いわゆるオープンアーキテクチャであったため、訴訟なども後にありましたが、多くの模倣品や互換品を誕生させることにもなり、結果的にアップルの世界的な知名度と今日までの莫大な利益をもたらす原点ともなりました。

Apple Ⅱ
Apple Ⅱ(wikipediaより)

 

歴史をリスペクト、テクノロジーに感謝

1206年から1977年まで、実に「771年」に渡ってのプログラミングとコンピュータの歴史をたどってみました。

プログラミングの歴史はパソコンの歴史であり、パソコンの歴史はプログラミングの歴史でもあります。いまみなさんが手にしているスマートフォン、普段使っているパソコンが生まれてくる背景にあるプログラミングは、当たり前ながら全て「人」の手によるものです。

冒頭でご説明した「自動化」のために、エンジニアたちが長年かけて積み上げてきた結晶であることが垣間見えたかと思います。

進化するテクノロジーはいまAIやIoTとしても社会に浸透しつつあり、今日のそして未来の私達の生活を支えてくれています。この便利な生活の遥か昔には、先人たちの血の滲むような積み重ねがあったことを忘れたくないものです。

プログラミングとコンピュータの偉人たち

プログラミングも学べる留学がある

最後に、プログラミングも学べる海外留学のご紹介をさせてください。こうしている今も脈々と世界中のエンジニアたちが現在進行形で進化させるこのプログラミング、そしてコンピュータの世界。このITの世界に飛び込みつつも、海外の地でグローバルな経験を積んでいける留学です。

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デザイン
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著者:アクトハウス編集部
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