向いているかは関係ない。「毎日手を動かせるか」だけが未来を決める

向いているかは関係ない。「毎日手を動かせるか」だけが未来を決める
キャリアカウンセリングの現場で、最も頻繁に聞かれる質問があります。
「文系の私でも、プログラミングに向いているでしょうか?」
「センスがないのですが、デザインはできるようになりますか?」
厳しい言い方をしますが、その問い自体がナンセンスです。
これから戦場に出ようとする兵士が、「私は鉄砲を撃つのに向いていますか?」と聞いているようなものです。向いているかどうかなど、撃ってみなければわかりません。そして、生き残る兵士は「向いている人」ではなく、「毎日泥まみれになりながら訓練を続けた人」だけです。
ITやクリエイティブの世界において、「適性」という言葉は、やらない理由を探すための都合のいい隠れ蓑に過ぎません。
未来を決める変数は、才能でもIQでもない。
今日、そして明日、来る日も来る日も、飽きずにキーボードを叩き、マウスを動かし続けられるか。その「物理的な反復量」だけが、あなたをプロフェッショナルへと押し上げます。
今回は、多くの初学者が陥る「適性の罠」を解体し、アクトハウスがなぜ「半年間のハードワーク」を課すのか、その本質的な理由を語ります。
「適性」は後から貼られるレッテルに過ぎない
まず断言します。プログラミングやデザインに、生まれつきの才能など必要ありません。
これらは「魔術」ではなく、あくまで「言語」であり「作法」だからです。
日本語を流暢に話せるあなたが、プログラミング言語という新しい文法を習得できない理由など、論理的に存在しません。もしできないとしたら、それは脳のスペックの問題ではなく、単に「触れている時間」が圧倒的に足りないだけです。
「あの人は適性がある」と言われる人は、実は「誰よりも早く始め、誰よりも多く失敗し、誰よりも長くコードに触れていた人」です。
その膨大な試行錯誤の結果だけを見て、周囲は安易に「才能」という言葉で片付けようとします。しかし、それは努力の総量を無視した冒涜に近い。
最初からスラスラとコードが書ける人間などいません。最初は全員、真っ赤なエラー画面に絶望し、キーボードを叩きつけたくなりながら、それでも手を動かし続けたのです。
適性があるから続くのではありません。続けた結果、適性があるように見える状態になった。順序が逆なのです。
脳ではなく、指に覚えさせる
学習において、多くの人が犯す致命的なミスがあります。それは「理解してから、手を動かそうとする」ことです。
「参考書を読んで仕組みを理解してからコードを書こう」
「構図の理論を完璧にしてからデザインソフトを触ろう」
このアプローチを取る人は、ほぼ100%挫折します。
なぜなら、ITスキルは「知識(Knowledge)」ではなく「技能(Skill)」だからです。自転車の乗り方を本で読んでも乗れないのと同じで、if文の概念を読んでも、手が動くようにはなりません。
プロになる唯一の道は、「わからなくてもいいから、写経する(コードを書き写す)」ことです。
意味がわからなくてもキーを叩く。すると画面に変化が起きる。エラーが出る。一文字直す。動く。
このフィードバックループを指先で回し続けることでしか、脳の神経回路は繋がりません。
アクトハウスのカリキュラムが、座学よりも「演習」や「実務」に重きを置くのはそのためです。
理屈で納得するのを待つ必要はありません。指が勝手に動くレベルまで、物理的に叩き込む。質は、圧倒的な量の中からしか生まれません。
天才を凡人が殺す唯一の武器「グリット」
IT業界には、確かに「天才」と呼ばれる人種が存在します。
一度見たコードを忘れない、複雑なアルゴリズムを一瞬で解く。そんな怪物たちと、どう戦えばいいのか。
答えはシンプルです。「辞めないこと」です。
これを心理学用語で「グリット(やり抜く力)」と呼びます。
天才には弱点があります。それは「飽きっぽい」ことです。彼らは簡単にできるがゆえに、壁にぶつかったり、退屈な作業が続いたりすると、すぐに別の興味に移ってしまいます。
しかし、Web制作やシステム開発の現場は、実は地味で泥臭い作業の連続です。華麗なロジックよりも、ドキュメントを読み込み、コツコツとバグを潰し、クライアントの要望に合わせて微修正を繰り返す忍耐力が求められます。
「ウサギとカメ」の話は、現代のビジネスでも真理です。
速いウサギ(天才)は、途中で昼寝をします。その間に、毎日休まず手を動かし続けたカメ(凡人)が、いつの間にか追い抜き、ゴールテープを切っている。
アクトハウスの卒業生で成功しているのは、必ずしも「飲み込みが早かった人」ではありません。「最後まで手を止めなかった人」です。
インプット中毒という「逃げ」
「毎日勉強しています」と言いながら成長しない人の特徴。それは、動画を見たり本を読んだりする「インプット」だけで満足していることです。
はっきり言いますが、Youtubeでプログラミング講座を眺めている時間は、学習時間には含まれません。それはただの「鑑賞」です。
手を動かさない学習は、どれだけやっても「わかったつもり」を生むだけで、実力は1ミリも伸びていません。
真っ白なエディタを開き、自分の頭で考え、ゼロからコードを生み出す。この「産みの苦しみ」を味わっている時間だけが、あなたの血肉になります。
インプットは楽です。受動的でいいからです。
アウトプットは苦しい。能動的なエネルギーが必要だからです。
しかし、その苦しみから逃げて「勉強した気」になっているうちは、未来は変わりません。今日、あなたは何か「モノ」を作りましたか? それとも情報を食べただけですか?
環境が強制的に手を動かさせる
とはいえ、人間の意志は弱いものです。一人で部屋にこもり、毎日自分を追い込んで手を動かし続けるのは、至難の業でしょう。
だからこそ、アクトハウスという「強制環境」が意味を持ちます。
周りを見渡せば、全員が朝から晩までディスプレイに向かっている。
シェアハウスに帰っても、リビングで誰かが議論しながらコードを書いている。
この環境に身を置けば、「やらない」という選択肢が消滅します。サボることが恥ずかしくなり、自然と手が動くようになります。
半年間、180日。
この期間、強制的に手を動かし続けた経験は、あなたの脳と指先に「努力の基準値」を刻み込みます。
「これくらいやるのが当たり前」という基準さえできてしまえば、卒業後に一人になっても、もう手が止まることはありません。
その指先が、明日を作る
不安になる必要はありません。
自分に向いているか悩む時間があるなら、その時間で一行でも多くのコードを書いてください。
センスがないと嘆く暇があるなら、一つでも多くのWebサイトをトレースしてください。
未来は、祈って待つものでも、誰かに与えられるものでもありません。
あなたのその指先が、キーボードを叩くその一回一回の打鍵が、少しずつ手繰り寄せてくるものです。
「毎日手を動かせるか」。
問われているのは、その一点のみ。
もしあなたが、理屈抜きでこの泥臭い挑戦に没頭する覚悟があるなら。
アクトハウスは、最高に熱い「道場」を用意して待っています。
四の五の言わず、まずは手を動かしに来てください。
著者:清宮 雄(アクトハウス代表) 起業家・ブランドアーキテクト。2014年にセブ島でIT留学の草分けアクトハウスを設立。「ビジネス×テック」をテーマに、時代に左右されない強靭な個の育成に従事。

















