「とらえかたが9割」。とらえる工夫は生き抜くチカラ。
捉えるチカラは生き抜くチカラ
最近は「◯◯が9割」という言い方が流行っていて、なんでも9割なので、どれが本当の9割かわからなくなってきました。
ましかし、そこは場面場面ということで、今回はこのブームに乗って「自分なりの9割」を考えてみました。
で、出てきたのが…
「とらえかたが9割」。
人生や仕事について、この「とらえかた」を考察したいと思います。
そして、WEB上の記事を通して出会ったあなたの、明日からの活力になれば。
逆境・劣勢をどう捉えるか?
とらえるチカラというのは、結論「マイナスな状況をどう前向きにとらえるか」にある、んだろうと。
そして。
なぜこのチカラが人生や仕事においての「9割」かと言うと、悲しいかな人生や仕事において「最高にハッピー」な状況は決して毎日毎秒降って湧いてくるものではないから。きっと多くの人が日々、いろんなことに「あらがって、跳ね返して、戦って、立ち上がる」ことに頑張り、そして落ち込んだりしていると思うからです。
問題や悲しさ、逆境や劣勢の大小はあれど、私たちは常に何かを跳ね返して自分や状況をキープしたり、少しでも向上させようとしている。だからこそ、同じように頑張っている人や映画や小説や漫画やドラマを見たときに共感する。
ではその「頑張る」の核にあるものは何かを考えてみると「とらえかた」なのだろうと。
”この状況を打破してやる”
”こう思うことにしよう”
”こう考えれば少しは楽しめる”
”こういうふうにやってみればいいかも”
こんな感じで誰にも言わず、ひとり心の中で、人生や仕事の場面場面において「とらえかたを変える努力」をしている。これが人から見ると「頑張っている」に見える。自分でも「いま頑張っているんだ」とも思ったりする。何も結果が出てなくても、がんばって自分なりに捉えようとしているから。負け確定の試合かもしれなくても、とらえかたを変えようとしているから。簡単に勝つより、そこにドラマや奇跡や、思い出が生まれる。
逆境や劣勢を「どうとらえるか」を自分なりに設定し、避けて通ることができない問題を乗り越えようとすること。
とらえかたを起爆剤にし、自分に暗示をかけ、なんとか生き抜いていく。
人生はまさに「とらえかたひとつで、いかように変わってくる」のだと思います。
実際にはマイナスの状況を楽しむ余裕はない
あとあと振り返れば「あのときは、このように思うことにしていた」と、武勇伝らしきを語ることはできますが、実際の自分がその渦中にいる場合は、あっけらかんと「いまはこのように思うことにしてるからね!」なんて明るく言うことはできませんよね。
これが難しいところ。
だから「とらえかたが9割」だとしても、トラブルの最中にそのように心から思うことはほぼ不可能だとも思います。
《借金10億円なんですね、でも、とらかた9割ですから、ポジティブにとらえてくださいね!》なんて言われても「おっしゃ!そうします!楽しみます!」なんて答えられる人や、そのテンションのまま帰る家もない場合、常時「前向きにとらえているから大丈夫」なんてことは、できないですよね。カップラーメンがほぼ永遠に買えない資産状況で状況で笑っていられる人は、なかなかいないと思います。
なのでこの「とらえかたが9割」は、とても足場が弱い主張であり、理想論であり、実現不可能な戯言でもある。
そこに対抗意見をあえてぶつけるならば「理想論を心に持っている人でありたい」「理想を掲げて何が悪い」という、情緒的かつ答えがない確度からの”多様性ミサイル”の発射、そのまま両者リングアウトで時間切れを狙う感じでしょうか。何言っているかわからなくなってきたので、次に進みます。
負けないための、おまじない
だから「とらえかたが9割」というのは、見方を変えれば「勝ち組の戯言」とか「単なる体育会系的な精神論」ともすれば、最近流行りの「モラハラ」というフィールドに入れることも可能でしょう。
多くの「〜〜が9割」論はこのようにして封殺することができてしまいます。こうして、そろそろ「〜〜が9割」ブームは終わるのかもしれません。
ただ、なんでも論破したり揚げ足を取っている時代にも疲れるわけで。
実際には「〜〜が9割」というある種過激な表現は、本質的には「大事なことをひとつだけ伝えたい、ほんとはもっとあるけど」というスタンスでのキャッチコピーの役目を果たしています。なので、ここでは「じゃあ残りの1割はなんなんだ」「9割って言ったじゃないか」みたいなムーブメントも、「それ昭和だよね」「それ平成だよね」なんて”論破返し”されてしまうのかもしれません。
そういった、荒を探して駆逐する無益な戦いよりも「とらえかたが9割」というマインドを「あらかじめいつも心に置いておく」のが大切というか、ちょっとかっこよく生きるtipsかなというレベルで携えておくといいかなと思います。
人生を左右するような、10億円借金レベルのときには”あとからしか”使えない「とらえかたが9割」論ですが、普段の何気ない小さめの劣勢や、自分をなんとなく惨めに感じてダークサイドに引き込まれそうなときに、
「とらえかたが9割だ、よし」
と、ちょっとだけ心を強く持つ。おまじない。
そしてこれを毎日ちょっとだけ繰り返せている人は、周りからみれば十分に「強い人」であり「ポジティブの塊」なんて言われるかもしれません。本人の心の中は決してそんな単純な構造ではないんですけどね。ただこのマインドチェンジが日常的になった人は、大きな問題に対して「よし、自分はこれを前向きにとらえてやる」という、”とらえかた達人”になれるのだと思います。日々のポジティブ大事。
「言霊(ことだま)」や「思考は現実化する」なんて言葉も、密かにこの人類で受け継がれてきてますし、理論やAIな時代だからこそ、そして我々の日々の生活や諸問題は理論やAIでは決して解決できないからこそ、心に「とらえ方が9割」なんていうのを、座右の銘のサブくらいには置いておきたいなと思う次第です。
人生や就職や進学などなどに悩んだときに
「とらえ方が9割」論は、先ほど説明したように決して無敵ではありません。
人生や就職や進学の悩みを解決する特効薬でもありません。
しかし、持っているといないとでは、わりと未来が変わるような、あなどれない思考であることも確かです。というのは。私は会社をやって海外でも10年くらい経過しましたが、結構しぶとい経営者の人たち(つまり倒産させてない人)は、みんな「とらえかた」がうまいんですよね、劣勢でも。
経営やマネジメント、組織のリーダーを目指す方にはぜひこの思考を持っていただきたいし、別にそういうリーダー系を目指さない方でも、自分というたったひとりの存在のいわゆるリーダーなわけですから、ここはひとつ「とらえかたスキル」を磨いて欲しいなと思います。
どんなときでも「こういうふうに見れば、いいことかもしれない」と、とらえるんです。
会社経営も「とらえかたが9割」
実際に、筆者も日々事業をマネジメントしていくなかで、問題ばかり置きます。むしろ問題しか起こりません。日々たくさん間違えて修正し、ついでに周りも当然間違えますから、そういった迷路のような毎日を行く当てもなく行ったりきたりを繰り返しています。
ノリノリで楽しいなんてことは基本1秒もなく、常に問題に対応しているかたち。その問題も周りからは見えないわけで、まさに孤独の戦いは延々と続きます。それでやっと、今日という日が一応は何もなく終わった”ように見える”感じになる、感じ。
ここで、いつも頭の中で使っていたのがまさに「とらえ方が9割」でした。
視座を変えてみて、前に進もう
いろいろモヤモヤしていたこともありますが、いまはこの言葉が自分の中でひとつ使えそうで、ただの言葉ではありますが、共感してくれる方がもしいたら、この言葉を共有できればと、わざわざ土曜日の朝っぱらから書いてみました。
筆者で言えば、ゴリゴリのサラリーマン時代も変わらず地獄でしたが、そんときでさえも逆境や劣勢を「数年単位」で前向きにとらえるようにはしてきました。よく言う「コップに半分しか水がないでなく、半分もある」というやつですね。
ということで、大きな悲しみや多大なトラブルの対応への特効薬には全くならないですが、日々生き抜くうえではちょっとだけ頼りになる考え方「とらえかたが9割」。
みなさまも、ちょっと嫌なことやマイナスの状況になったとき、どこかで活用してもらえたらなと思います。
著者:清宮 雄(アクトハウス代表)