上司がいない。役職もない。旧来の働き方を破壊する「ホラクラシー」とは?

上司に気を使う。
会社の命令だからやる。
定時に帰れる雰囲気じゃない。
月曜の朝がツラい。
有給休暇の根回しに四苦八苦。
そもそも仕事が好きになれない。

日本だけでなく、世界でも蔓延している「会社病」。これだけ便利になった社会でも「組織のしがらみ」だけは、蜘蛛の糸のようにつきまとう。やがてそれは「ストレス」というモンスターと化し、体の全てを蝕んでいく。

「だったら、働き方を変えてみよう」

2007年、会社単位で声を上げたのはアメリカのスタートアップ企業「ターナリー・ソフトウェア」の創設者ブライアン・ロバートソン。組織やルールのしがらみ、やらされ仕事、調子に乗ったパワハラにセクハラ。負のスパイラルを助長する現代の働き方に「待った」をかけたのだ。

その概念は「ホラクラシー」と名付けられた。

語源は、ハンガリー出身の小説家・政治活動家・哲学者のアーサー・ケストラー(1907-1983)の著作「The Ghost in the Machine」で謳われる「holarchy」に由来する。

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旧来の「面倒な働き方」に正面から「NO」を突き付けるこのスタイルは、流行に敏感なシリコンバレーで急速且つ好意的に迎え入れられた。名もないスタートアップ企業はもちろん、次世代ベンチャーの騎手となった「Air bnb」や「Medium」で導入され久しい。またFacebookやApple、Googleといった名だたる企業でも一部活用され、その採用企業は世界で300社とも500社とも言われている。

ではこの「ホラクラシー」、何がそんなにクールなのか。

【ホラクラシーの特長】

◉役職がなく「役割」で仕事を分担
◉上司や部下という「上下関係」がない
◉権限の集中でなく「責任を分散」
◉指示待ちでなく「主体性を助長」
◉休みや出勤時間も「自分たちで設定」

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まず、組織を仕切る管理職がいない。出勤・退職時間も自分たちで決めていい、定例会議などあるわけない。会社がマーケットで生き残るためのミッションを自ら探し、知恵を出し合える者同士でチームを組む。そして目的に向かってただひたすら突き進むだけ。そこには漬物石のように居座った古株社員の「威圧感」など通用せず、使えない者はどのプロジェクトにも入れない。自分のスキルや熱意を仲間に理解してもらい、同じミッションのなかで皆と同等の責任を追う。

「そういえば、働くって、これ以外に何が必要であっただろう?」

いつしか社員は社員であることも忘れ、受け身の姿勢はなくなり、その目は輝き、まるで一人ひとりが社長のように、起業家のように、経営目線とベンチャー精神を兼ね備えたハングリーな組織になっていく、

はずだった―。

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そう、理想郷であったはずのこの「ホラクラシー」という組織概念、しかし実際には導入後にギブアップする企業が多発したのだ。運送業界、製造業、ベンチャー。業界や職種を問わず、勢い導入をしてみたものの大半は1年と持たず、代わりに残ったのは「人間ならではの問題」だった。これまで、いらぬと思われていた「ルール」の下に隠れていた闇が露呈してきたのだ。

【ホラクラシーの弊害】

◉責任の所在があいまいになる
◉ケンカが絶えなくなる
◉時間を守れない人が増える
◉話し合いが逆に増える
◉緊張感がなくなる

経営者であれば当然、このような事態には大舵をきらなければならない。ホラクラシーだかなんだか知らないが、会社の崩壊を招く社風の蔓延は阻止しなければならない。こうして、ホラクラシーバブルはみるみる縮小し、労働者たちを沸かせたブームは鎮火した。

やはり、人間はルールがないと生きていけないのか。あんだけ嫌であった上司がいないと仕事をしないのか。いやそもそも、本当は自由に働くことなんて、人はできないのか―。

しかしどうして、あきらめない者がいた。

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トニー・シェイ。

言わずと知れた世界的ベンチャー「ザッポス(Zappos)」の元・CEOだ。「靴の通販」をメイン事業とする同社だが「奇跡の経営」と評されるその手腕で、大企業では実現できない創造的・革新的な「感動」をマーケットに投入してきた。例えばザッポスのカスタマーセンターでは「顧客数をさばくことに評価を置くのではなく、どれだけ親身に接してきたか」が問われる。そのお客の満足度が「感動」というフェーズに入っていくことを信条とし、つまりは1人のお客と8時間電話で話をしても従業員の評価は下がらない。「母親が亡くなってしまい…来週自宅へ届くはずの靴は誰も履かないので、返品したい」という連絡があれば、手書きのメッセージとねぎらいの花束を持って顧客の元へ飛んでいく。これはマニュアルでも営業でもない。社員の「気持ち」に任せているのだ。

ザッポスの社員は理解している。顧客は靴が欲しいのではない。その靴を履いて運動したり、オシャレをしたり、旅行をしたり、プレゼントして誰かの笑顔を見たいからこそ、靴を買うということを。

元CEOのトニー・シェイは来るべき「ホラクラシー」の降臨を待っていたかのように、着々とその昔からその下地を作ってきた。顧客に感動を届けるためには、まず社員が幸せにならなければいけない。むしろザッポスの労働概念を定義するために「ホラクラシー」という言葉が生まれたのだと、タイムパラドックスさえも感じてしまう。

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「元・CEO」という肩書も、その想いのあらわれだ。「代表取締役社長」「起業家」「創業者」などなど、必要以上にその肩書を振りかざす人間は多い。しかしその実、真の経営手腕や人間性を持ち、事業を継続させ、なおかつ感謝を忘れない人間は圧倒的に少ない。器でない人間ほど、上に立ちたがるということだろう。では、ザッポスのトニー・シェイはどうか。彼は従来の経営者道の「逆」を突き進む。早々に社長という肩書を自ら外し「自分ふくめ従業員が幸せになる働き方が、顧客を幸せにし、ひいては会社を幸せにし、そして世の中をちょっとだけ幸せにできる」と信じてきた。

上司や部下といった強制労働のような関係。学ぶことも多かれど、その大半は不必要に長い説教や武勇伝であったり、くだらない飲み会に週明けから付き合わされる若手社員も多いだろう。「明日も会社に行きたくない」とぼやきながら、夜な夜なスマホ中毒になって現実逃避している社員がいる会社の顧客は幸せだろうか。一部の経営者は、まだその初歩的な構造問題から目を背け「私もそうだった。その壁を乗り越えて来い」と悦に入るのだろうか。

ところでしかし、自由な社風を推し進めたザッポスでも、人間的な経営危機は早々にやってきた。「ホラクラシー」を導入したところ約1,500人余りいた社員の「200人」が自主退社という道を選んだのだ。この仕組みに対し「どうも受け入れがたい」「なんかちがう」と拒絶し、しかも退職の道を選んだのである。ただそれでも、トニー・シェイの表情は変わらない。

「ホラクラシーの本格導入により、200人、全社員の14%もの人間が退職したが?」

そうインタビューで問われると、

「86%の人間が希望を抱いているのか。そいつは良いニュースだ」

この自信はどこからくるのか。実は、退職者が大量に出ることを想定し「ホラクラシーの導入について賛同できない、フィットしないと考える人は3ヶ月分の給与を出すから退職して良い」と全社員に宣言していたのだ。200人の社員が辞めたことは、想定内にも余りある状況だったのだろう。ザッポスはビクともしなかった。

トニー・シェイならではの粘り強い働きにより、荒廃していたホラクラシーという大地に、再び朝日が差し込み始めた。役員全員の肩書も消滅させ、やるべき仕事を上下関係のないなかで次々と、そして強引に遂行させた。やはり同社にはホラクラシーを導入するに余りある「社格」があったのだろう。筆者は、トニー・シェイの病的なまでの「自由」への固執は、同社の世代交代にはうってつけだったのではないかと推測する。10年かかる世代交代を、3ヶ月で完了。経営的に見て、こんなにも激しく効率の良いことはない。

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誰もが賛同する理想郷と錯覚させ、実は極限までハードルの高いホラクラシー。しかしこのストレス社会のなかで、この言葉が意味深い響きを持っていることは確かだろう。どのレベルで、どのように導入するかは企業次第だ。

ザッポスの例に見ると「ホラクラシーとは思想」であり、スタイルではない。導入を試み挫折した会社は「自由な感じがいいよね」という「かたち」から入ろうとしたのではないか。トライすること自体はアクティブだが「本質」を理解しておかなければ、その行動はダッチロールを繰り返す一方だ。つまり、経営には「ビジョン」が必須となる。

会社経営においての「ビジョン」とは、その会社の「経営者」と「管理職」と「一般社員」の3つの立場が、

共通する《きれいごと》を持てるか。この1点に尽きると思う。

ベン図でいう「A・B・Cが重なっている《ホワイトゾーン》」を三者が共有する。会社や組織、チームでは、

A. 経営者には経営者の責任があり、
B. 管理職には管理職のストレスがあり、
C. 一般社員には現場ならではのドロドロがある。

しかし、その3つの立場に重なる《ホワイトゾーン》に、極限まで高めた理想、すなわち《きれいごと》があるか。そしてそれに向かって「バカになれるか」ということが、社風ひいては社格の形成につながっていくのだと考える。

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ホラクラシーそのものは「絵に描いた餅」にすぎない。そんな、たったひとつのプロトタイプに数百の会社が合わせようとするからおかしくなる。大切なのはかたちでなく、他人から見てバカにされるような《きれいごと》を掲げ続け、その実現のためには手段を選ばないことである。ザッポスは、社員が担当する「顧客や売上の数」でなく「感動の数」で社員を評価した。異常なまでにその1点に集中したのだ。やがて世界はザッポスを「靴屋」と思わなくなった。そしていよいよザッポスは、強制労働という概念をひっくり返すため、ホラクラシーという「生き方」に入っていったのである。

自由とは何か。会社とは何か。働くとは何か。

消えそうで消えないホラクラシーという虚栄のかがり火は、再びメラメラと現代人の心を揺さぶり始めたー。
 

▶︎著者:清宮 雄 プロフィール
フィリピン・セブ島在住。IoTそしてA.I.時代の国際的な起業家・ビジネスパーソンを育成するセブ島留学のアクトハウス代表。メンターとして現場でも奮闘中。アクトハウスの体験談はこちら >>>

 
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