「255年前」に生まれた日本人デザイナーは「72歳」で世界的ブレイクを果たした執念の男だった。


今から「255年前」。

この日本で、半世紀以上に及ぶ極貧生活を生き抜き、72歳にして世界へ名を轟かし、画家の「ゴッホ」や作曲家の「ドビュッシー」に至るまで、世界中の巨匠たちに多大なる影響をもたらした男がいた。

その名は「葛飾 北斎」。(かつしか ほくさい)

言わずと知れた「冨獄三十六景」の画師である。

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「世界を舞台に働きたい」「自由な人生を生きたい」「誰にも縛られない生き方をしたい」という夢を持っているのは現代の若者だけではない。200年以上前の、北斎も同じだった。しかし、今ほど世界とつながることが全く容易でなかった江戸の時代。「パソコン1台」ならぬ「筆1本」だけを持って、どのように世界の頂点へと上りつめたのか。

では、その「執念の人生」を紐解いていこう。苦節70年にも及ぶエピソードの数々は、逆に言えば「夢を叶えるためのヒント」がふんだんに詰まっているとも言えるだろう。その「ヒント」については、文中に▶︎ココに注目としてまとめている。読み進めながら、拾ってくれればと思う。

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【北斎の人生】

《超極貧の幼少期》

1760年、貧しい百姓の子として生まれる。貸本屋での住み込みのタダ働きなど貧窮を極めるが「絵」に関わる仕事に、最初からこだわり続けた。

▶︎ココに注目
下積み時代はギャラにこだわらない/好きなことに少しでも関わる仕事を選ぶ

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《鳴かず飛ばずの10代・20代》

14歳で木彫の仕事に付き、18歳で浮世絵を学ぶため門下生として修行を粛々と続ける。迷うことなく20代全てを修行につぎ込んだ。

▶︎ココに注目
20代さえも修行期間にする

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《34歳にして職場をクビに》

師匠に隠れて他の派閥の画風の模写や、「洋画」や「中国画」の模写に取り組み、粛々とそのテクニックを磨き上げる。しかし、それが師匠との確執を招いたとも言われており「破門」を言い渡される。すでにこの時点で、34歳。

▶︎ココに注目
スキルアップのために一流をマネる/苦手なジャンルにも挑戦する

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《40代で一時的に方向転換》

自らの名前を売るために、いや、死なないために、自身唯一の夢である「浮世絵」を一時的に手放す決心をする。本の挿絵や相撲画など、餓死を避けるためにどんなジャンルの「絵」にも入り込んだ。そしてそのなかで「人々にウケるもの=大衆の温度感」をつかんでいった。やりたくない仕事を「マーケティング」に転換させ「ヒットの法則」を模索していったのだ。それが「北斎漫画」である。人々のニーズに応えまくるこの「北斎漫画」の経験が、後の海外進出のきっかけとなっていく。

▶︎ココに注目
大衆の嗜好を読む/マーケットの動きを読む

〈北斎漫画〉
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◆北斎のマーケティング思考が開花。大衆の好みに応えるポップな作品で知名度を上げた◆

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《50代でも丸くならない》

こんなエピソードもある。

とある日、オランダ人の商人が北斎の絵を「買いたい」とオファーしてきた。しかし納品段階で「やはり半額にしてくれ」と手のひらを返してきた。北斎は激怒し「絵師の歴史に、値引き交渉が当たり前という土をつけてなるものか。これは私個人の問題でなく、我が国の絵師全員の誇りの問題だ」と、つっ返した。まったく金銭的に余裕のない貧困状態は続いていたが、絶対に値引きしなかった。たびたびの困窮時さえも「絵の買い方」が横柄な客には、それがたとえ幕府の人間であろうと、追い返した。

そして北斎は人生初の「旅」に出る。道中、日本の知られざる風景の美しさに驚嘆した体験をもとに、目にしたもの、感動したことをデッサンにまとめていった。これが20年後に世界を沸かせる「冨獄三十六景」へとつながっていくことになる。

▶︎ココに注目
自分の仕事を値引かない/安売りしない

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◆漫画をアートの領域まで高めたことが、海外の人々に衝撃を持って迎えられた◆

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《60代でやっと見えてきた「世界」》

市民の好評を得た「北斎漫画」の追い風は、思わぬ出来事がきっかけで世界進出のきっかけとなった。実は、日本から西洋へ陶器を輸出する際、割れないように器のひとつひとつに「詰め紙」として、クシャクシャにされた「北斎漫画」が使われていたのだ。陶器を品定めする際に、ふとその紙きれを広げた外国人の商人たちから、口コミでその評価は広まっていった。ここから、世界を席捲する「日本ブーム=ジャポニズム」が文字通り世界中で拡散していく。詰め紙という、どん底の扱いを受けていても、そこに刻まれた魂だけは誰にも消すことはできない。絶壁の淵から叫び続けたその声に、世界が気づいた瞬間だった。

▶︎ココに注目
小さな仕事を丁寧に積み上げる/あきらめずに質を高めておく

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◆クロード・モネ作の「ラ・ジャポネーズ」は、ジャポニズムの代表的作品のひとつ◆

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《72歳。頂点へ》

20年前、日本巡礼の「旅」から描きためていたデッサンと構想。「富士山と江戸の人々」をフィーチャーした伝説のシリーズ「冨獄三十六景」を、72歳のとき発表する。たおやかな目線で市井の人々を見つめ、主役に添え、そしてそれをダイナミックかつ計算しつくされた構成で見せた本シリーズは、間違いなく北斎の名を世界で不動のものにした。苦節70年。一時は餓死を覚悟し、描きたくもない商業漫画から無理矢理に光を見出し、20年の構想とデッサンを積み重ねた末にたどり着いた境地だった。この作品で北斎は、美術史において永遠にその名を刻むことになる。

▶︎ココに注目
人々の目線で企画・デザインする/ユーザーの嗜好をつかむ

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《87歳、それでも描き続ける》

知名度を不動のものにしつつも、天保の大飢饉では再び貧窮生活を余儀なくされた。しかしそれでも、北斎は描き続けた。また後進のために「絵本色彩通」なるノウハウ本も作成。そして晩年の作品は、もはや狂気をも感じさせる、流麗を極めた頂へと到達している。

▶︎ココに注目
挑戦をやめない/技術を後世に伝承する

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享年88歳。70年以上に及ぶ修行を経て、世界をつかみとった北斎。自らが描いた山頂からの風景は、どのようにその眼に映っていたのだろうか―。

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【現代も生きる北斎】

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生誕254年となる2014年、パリの「グラン・パレ・ナショナル・ギャラリー」にて「北斎」展が開催され、約700点が展示された。最初の2ヵ月だけでも「22万人」という異例の来場数を記録した。
(出典 http://www.47news.jp/ )

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1999年にはアメリカの世界的経済誌『タイム』にて「この1,000年でもっとも偉大な業績を残した100人」として《日本人でたった1人》選ばれている。

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北斎最期の言葉に、こんなものがある。

「天があと5年、わたしを生かしてくれたら、本物の画家になることができたかもしれない」

 
▶︎著者:清宮 雄
フィリピン・セブ島在住。IoTそしてA.I.時代の国際的な起業家・ビジネスパーソンを育成するIT留学「アクトハウス」代表。メンターとして現場でも奮闘中。アクトハウスの体験談はこちら >>>

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